父さんとの無言の再会

元スレ
父さんとの無言の再会

1 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 01:43:12.59 ID:8J6bIrIT0
すべて実話
思い出しながら書く

2 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 01:44:08.96 ID:FntjGuNj0
つまり>>1はもうこの世には・・・

4 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 01:47:55.12 ID:8J6bIrIT0

21♂
生きてます

7 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 01:52:30.16 ID:8J6bIrIT0
酒がとにかく大好き
朝から浴びるように飲む人だった
酔うと暴力を振るうタイプだったらしく、自分や少し下の妹は覚えていないが、母親は大変だったらしい

9 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 01:56:35.31 ID:8J6bIrIT0
仕事は鳶職やトラック運転手といった、よく底辺と言われるような職だったが、仕事は真面目で稼ぎも良く、特に経済的に困ったようなことはなかった

日に日に酒酔い暴力は増していき、自分が保育園の年中さんくらいで止むを得ず両親は離婚することになった

11 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:01:33.60 ID:8J6bIrIT0
今でも父さんが家の玄関を出て行くところはよく覚えている
子供って自然とわかるみたいで、当時の自分も何か違った感じがしていたのかもしれない
いつも仕事に行く格好で出て行くのだけど、自分は「お父さん帰ってくるの?」と聞いたらしい
離婚なんてことまだわかる歳でもないのに

母親が「帰ってくるよ」と一言言った時、かなしい表情だった

12 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:04:20.00 ID:8J6bIrIT0
案の定父さんが帰ってくることはなかった

けど離婚する時に養育費を送る代わりに、月に一度だけ会う約束を交わしたらしい

まだ離婚なんてわかってないし、会うたびやたらといろんなところに連れてってくれたり、欲しいものはトイザらスでなんでも買ってくれた
自転車とかゲームボーイとか買ってもらって、毎月父さんと会う日が楽しみで仕方なかった
子供って単純

10 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 01:59:41.33 ID:FntjGuNj0
ありがちだが重いな

13 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:06:45.21 ID:8J6bIrIT0
>>10
不思議とあまり自分は重たく捉えてないんだよね
暴力振るってる父親の記憶がないからなのか

16 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:10:56.81 ID:8J6bIrIT0
だけどそんな日も長くは続かなかった
何年かは忘れたけど、なぜか11月だったことだけは覚えてる

突然パッタリ会わなくなって、連絡も取れなくなった
同時に養育費も来なくなったみたい

最後に会ったときはハッキリ覚えている
小学校一年生の授業参観だ

18 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:15:41.89 ID:8J6bIrIT0
授業参観のテーマは牛乳パックにストローをさしたビニール袋を仕込み、ビニール袋に顔を書いてなんちゃってびっくりおばけみたいなよくわからんおもちゃを、保護者と一緒に作ることだった

11月以降父さんは遠くに行ったと言い聞かされてきたけど、どうやら父さんが最後のお願いでこの授業参観に参加させてほしいと頼み込んできたみたいだ

19 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:19:06.28 ID:8J6bIrIT0
久しぶりの父さんとの再会
やっぱり男だし父親が来てくれるのは嬉しかった

結局今も昔も不器用な自分は工作のほとんどを父さんにやってもらい、自分はビニール袋に顔を書くだけやった
完成したときは嬉しかった
2人で作ったという喜びよりは、父さんが作ってくれたっていう方が嬉しかった
この時の作品は今でも使わなくなった学習机の引き出しに大事にしまってある

23 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:26:37.56 ID:8J6bIrIT0
これを最後に父さんと会うことはなくなった
当時はまだ離婚なんて世間体が良くないなんて偏見がまだ少し残っている時代だった

離婚してからもしばらくは父親の姓で名乗っていたが、そろそろ母親の姓に移そうということで名字が変わった
クラスの帰りの会で、担任の先生からクラス全員にそのことが話された
細かい理由は言わず、名字が変わることだけ発表された
当然クラス中はざわつき、後日他のクラスからも色々聞かれることになった
なんて答えていいかわからず、なんて答えていたかも覚えていない
本当に辛かった

給食の時間や友達と遊ぶ時に父親の話が挙がると、さりげなくその場から立ち去るようにもなった

22 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 02:22:11.10 ID:/sAa+mfJ0
潔く離婚したのはいいことだよ
うちは、小さいころから喧嘩家出暴力がたえないのに離婚しないので、心がぼろぼろだで

24 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:28:31.53 ID:8J6bIrIT0
>>22
母親の判断には本当に感謝してる
離婚しなかった理由はやっぱり世間体とか経済的な問題?

26 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:35:49.30 ID:8J6bIrIT0
母親は手に職持っていたので再就職は比較的楽だった
小学校低学年は児童館、高学年はじいちゃんばあちゃんの家に預けられて育った
あまり深くは考えなかったが、片親であるがゆえのいじめのようなこともたくさんあった

小学校を卒業する間近くらいの時に、遠くに行ったはずの父さんを家の近くで見たという連絡が母親の友人からあった
その頃には酒で暴力振るう父親であったことも知っており、どちらかと言えば恐怖心が大きかった
連れ去られるんじゃないかと考えたりしてしばらくは外出するのも怖かった

27 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:40:55.75 ID:8J6bIrIT0
そして特に何も起きることなく中学生に

母親に男ができた
父さんとは正反対で、酒は好きだが飲んだらすぐ寝るタイプ
学生時代の同級生と言っていたが、出身地等を見てもまず違う
おそらく出会い系かなんかだろう

だけど悪い人ではなく、長い間父親代わりになってくれた

31 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:49:37.82 ID:8J6bIrIT0
話が一旦途切れるけど、父さん自身の生い立ちを少し書きたい

東北の山奥で生まれ育った父さんは、とにかく貧乏だった
だけど家庭環境がよろしくなく、親戚中たらい回しにされた過去があったらしい
それこそあの映画火垂るの墓のような
食事も満足に与えられず、ひどい差別も受けていたらしい

だから早く自立したいという気持ちが大きく、17で一人上京して喫茶店でしばらく働いていた
家族のことは滅多に話したがらなかったという
辛い時期にラジオで聴いていた「木綿のハンカチーフ」が大好きで、聴く度に大泣きしていたみたい

32 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:57:11.56 ID:8J6bIrIT0
しばらく日本中転々としていた途中、母親と知り合い結婚することになった
見た目は背も高く威圧感があり、チンピラ顔負けの人相の悪さ、酒タバコギャンブル暴走族とイメージは最悪
じいちゃんばあちゃんはもちろん猛反対

だが反対を押し切り結婚
結婚式のビデオが今でも残ってるけど、やんちゃなくせに涙もろく、終始ボロボロ泣いてた
生い立ちを考えると号泣も無理はないと思った

33 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 02:59:54.17 ID:8J6bIrIT0
離婚するまでは酒酔いを除けば本当にいい父親だった
小さい頃のホームビデオをたまに見返すと、子煩悩で涙もろい人相悪いおっさんだった

36 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:07:21.97 ID:8J6bIrIT0
父さんには腹違いの弟がいたんだが、その人にも可愛がってもらってた
その人も相当なワルで人相もとんでもなく悪く、数えきれないくらいの悪行をしてきたような人だった

チキンで弱虫な自分はそんな人みたら大泣きしてしまうんだが、可愛がってくれるので調子に乗って頭叩いたりバカとかアホとか言ってた
何回かしばき倒されそうになったが、父さんが「こいつに手出したら半殺しだからな」と言って守ってくれた
当然自分が悪いんだけど、そんな強い父さんが大好きだった

35 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 03:04:14.25 ID:R+gc3sgw0
涙もろいって事はきっと感情的なんだろうな
理性のコントロールが難しいのかな

38 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:09:53.21 ID:8J6bIrIT0
>>35
そうだと思う
物に当たることも多かったし

40 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:16:19.88 ID:8J6bIrIT0
ごめん話がどんどん飛んでくけど、思い出したから書かせて

父さんのタバコの吸殻を誤飲してしまったときの話
大泣きする自分を慌てて病院に連れ込んだ父さん
「痛くないか?苦しくないか?」と絶えず声かけしてくれてた
幸い大きな問題もなく吸引するだけで治療は終わり
父さんはずっと自分のことを責めてた
初めてその時強い父さんの涙を見た
父さんあの時はごめん

41 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:24:22.80 ID:8J6bIrIT0
まだまだ思い出たくさんあるけど、それはまた後に書こうと思う

続き

中学時代は父親代わりの人と家族旅行行ったり色々買ってもらったりした
吉野家の納豆定食を朝早く2人で食べに行ったり、車を見に行ったり、銭湯に行ったり、ちょっと男くさい事はこの人に教わった
だけど所詮は他人
やっぱり気は使うし、聞きたいことややりたいことがあっても素直に伝えることはできなかった

一度だけ怒られたことがあったんだけど、反抗期も手伝って「なんでこの人に言われなきゃいけねえんだよ」と思ったこともあった
もちろん感謝はしてる

42 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:30:45.68 ID:8J6bIrIT0
その人には人生相談にものってもらったりした
高校受験のときは特にお世話になった

だけど旅行行ったり、ご飯食べたり、銭湯行ったり、話してたりと色んな場面で「父さんがいたら」「父さんだったら」と考えていることも多かった

そして高校受験も終わり、当時受験シーズンだけ通っていた予備校で人生初の彼女が出来た

44 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:36:35.68 ID:8J6bIrIT0
その頃にはもう父親代わりの人とも疎遠になっており、母子三人家族で暮らしていた

母親は仕事で帰りも遅く、夕飯もあまり満足には食べられてなかった時期が続いた

高校入学し、中学時代から続けていた運動部の先輩に無理やり誘われ嫌々入部
毎日辞めたい気持ちを抑えながら部活やってた

45 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:43:18.22 ID:8J6bIrIT0
高校くらいになると片親の偏見もなくなってきて、熟年離婚なんて言葉も出てくるくらいだった

高校で初めて友達になったやつも母子家庭で環境が似てた
母子家庭を笑い話にできるくらいだった
そいつとは話もよく合い、今でも一番の親友だと思っている

同時に彼女とも仲良くやっており、ガキながら将来を約束してた
その頃だともう生きてるか死んでるかもわからないくらい音信不通だった父さんを、彼女は一緒に探そうと言ってくれた
母子家庭が当たり前になっててそんな発想もなかった自分は驚き、そして嬉しかった

43 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 03:36:26.82 ID:b2yP9yrc0
酒さえ飲まなけりゃいい人だからと、情に流されず離婚を決めたお母さんは立派だな……
誰かと一緒に暮らすことができない人ってのはいるもんだ

46 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 03:44:44.95 ID:8J6bIrIT0
>>43
苦渋の選択だったと思います
父親も家庭に恵まれなかった人間なので、自分の家庭こそはと思っていたのかもしれません

98 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 15:34:04.31 ID:KM7KeGul0
>>46
離婚を決意した母親に感謝だな
もしも同居を継続していたら>>1も妹さんも泥酔状態の父親を何度も目の当たりにし
父親に対する嫌悪と憎悪しか育たなかっただろう
父親の機嫌のいい時にだけ会えたからこそ
父親の死を悼むことができるんだろう

103 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 16:05:03.79 ID:8J6bIrIT0
>>98
そう思います
妹は記憶がないからわからないけど、自分に関しては見事にいい時だけの記憶しか残っていないので、言い方は悪いですが絶妙なタイミングで別れられたのかなと思っています

48 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 04:02:10.36 ID:8J6bIrIT0
その頃から頻繁に父さんの夢を見るようになった
夢と言っても過去に実際にあった出来事が短編映画のようにただ流れるだけ
忘れかけていたような出来事も出てきて、ちょっと楽しんでた
今思えば父さんからの何かのメッセージだったのかもしれない

地元の駅のお祭りに小さい頃父さんに抱っこされて連れてってもらったことがあった
中途半端な田舎だったので不良若者が多く、治安はあまり良くなかった
腹違いの弟と弟の女もいたんだけど、その2人が不良と喧嘩し始めたんだ
父さんは見て見ぬ振りをして俺をあやして遊んでる
だけどだんだんさっきの2人と不良の喧嘩が激しくなってきてた
すると父さんは被っていた野球帽をちょこんと俺の頭にのっけて、「ちょっと待っててな~」とあやすように言ってその2人のもとへ

とんでもなく人相が悪いので、じっと不良グループを睨んで一言「こっちがなんかしたか?」
不良グループは何も言わずに退散

俺のもとに戻ると何もなかったかのようにまた「かき氷おいしいでちゅね~」と言って遊んでくれた

そんな強い父さんが大好きだった
当時この夢を一番多く見ていたと思う

50 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 04:06:05.06 ID:8J6bIrIT0
他にもいくつか印象に残った夢(というか実際にあったことだけど)がある

明日(今日?)は休みなので、一旦寝てまた起きたら書こうと思う

遅くまで見ていてくれた人たちありがとう!
まだまだ続きはあるのでまた書きにきますね

52 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 04:13:31.34 ID:Xkj/tresO
似たような環境で育ったから辛さが凄い分かるよ
ウチは幼少期にとっくに離婚してるのに父親が寄生し続けて、歪な家庭環境で18才まで育てられ、
成人して親父と再会したら金の無心されたけどな

>>1が再会した時の父親がイイ人であってくれと切に願ってます

54 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 04:17:01.21 ID:gHs/baYE0
ふざけんなよ
最高まで書け

57 ◆.c30WWAYRA 2013/01/08(火) 07:24:41.36 ID:uJtWlhiH0
彼女どうやってつくったの

61 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 09:59:44.01 ID:8J6bIrIT0
>>52
それはキツイなあ
似たような環境だけど俺より辛そうだ…

ありがとうございます!

>>54
最後まで書くんで見てやってください

>>57
特別なことはしてないです
詳しいことは本文中で書くかもしれないです

58 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 09:40:25.28 ID:ShcrWibm0
こういうのは、親にいて欲しかったなんでこうなっちゃったのかな?っていう人と、親のせいで人生むちゃくちゃにされたどうして縁切ってくれないの?って人がいるよな
んで、両者は互いに正反対のことなんだけども、根本は意外と同じようなもんだったりする
子どもの頃どっちで辛い思いしたか、どっちを思っていたかでだいたい決まる気がするわ
>>1はいて欲しかった思いの方が強そうだな
母親がいるいないならともかく、父親いるいない話は結構子どもの為の選択を取れなかったりする
女は暴力振るわれて共依存というのはけっこうよくある話だが、男で流されてかつ流された方が子供に悪影響ってことはかなり低確率
もちろん、ゴミ父に裁判で親権取られたとかそういうのはまた別の話だけど、
>>1の父親は基本>>1のタメになりそうな人の気もするし、
やっぱり子供がどっちのが良かったかが結局一番大事なんだと思う
暴力クズ野郎と一緒に暮らすよか離婚のが100倍いいのはもちろんだが、
子供がいた方がタメになったと言い出したらもう離婚した甲斐なしだし
>>1は若干後者の気があるが、しかし前者のことも分かっている奴だと予測する

62 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:02:27.86 ID:8J6bIrIT0
>>58
ありがとうございます
しっかり読んでくださっていて嬉しいです

このことについては自分も考えることがよくありますが、いまだに自分がどちらのタイプかはっきりはしません
また後々触れますが、書いてるうちに結論が出そうな気もしてます

65 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:11:50.65 ID:8J6bIrIT0
昨日の夢の続き

他にもたくさん夢を見て小さい頃を思い出すことがある

節分の日には必ず父さんが鬼のお面をして登場する
紙でできた鬼のお面に上下スウェットというなんとも不恰好な鬼なんだが、それがまた怖かった
父さんの出身地にはなまはげという文化があり、小さい頃からそういうのを見てきていたせいか、「悪い子はいねえかー!」と結構なマジ演技

今でも思い出して若干ビビるくらいなんだけど、当時は失神するくらい泣いてた
鬼のお面してても素顔でも大して怖さは変わらないんだけど、やっぱりいつもの優しい父さんが好きだ
本気で謝ってくるもんだから、だったら最初から抑えてくれよと思いながら父さんの腕の中で豆を頬張ってた

68 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:22:13.14 ID:8J6bIrIT0
高校一年のも終わりに近づいていたある日、ボロボロに涙流して起きたことがある

また夢を見ていたんだろうけど、この日だけははっきりと覚えていない
ただ父さんが全身白い服に身をまとって、何もない空間の中で父さんのお気に入りだった座布団にあぐらをかいて座り、俺の名前を呼びながら手招きしてるところは覚えている

特に悲しいところなどないんだけど、俺は異常なまでに涙を流していた

71 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:33:48.54 ID:8J6bIrIT0
とはいえ高校生にもなると父さんのこと思い出すことはどんどん減っていき、やりたくもない運動部の活動に時間を取られるようになっていた

辞めたくて仕方なく、どうやったら辞められるかなんてことをいつも考えてた

母子三人の生活もなれてきて、家でも家族で揃って夕飯食べることもできるようになってきた頃、一通の茶封筒が自宅に届いた

72 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:38:59.94 ID:8J6bIrIT0
ここで先ほど言われてた付き合ってた彼女との話を少しさせてください
後々いろいろと助けてもらうことになるので

彼女との出会いは中学卒業間近
最初の方で予備校での出会いと書いたけど、たまたま同じとこだっただけで出会いはケータイのSNSだった
2.3ヶ月やり取りするうちに付き合うことになった

73 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:45:16.99 ID:8J6bIrIT0
詳しいことは誰にも話したことがなかったけど、彼女にだけは話した
彼女の父親も小さい頃に俺と同じ経験をしていたらしい
自分で言うのもアレだけど、女の子って自分の父親に似た人を好きになることが多いのかなと思ったりした

次第に彼女の家族や親戚までとも仲良くなり、よく一緒にバーベキューをした
彼女のお父さんやおじさんも自分の父さんと歳が近いので、父さんと話してるような感じがして新鮮だった

特に彼女のお父さんとは、ししゃもを焼きながら2人だけで何時間も語らうこともあった
小さい頃の境遇や性格も似ており、色んなことを話した

74 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 10:54:04.25 ID:8J6bIrIT0
さあ続き

茶封筒は同じ県内だけど少し遠くにある市役所からのものだった
今時丁寧に全てが手書きで、少し大きく分厚かったような覚えがある

当時の自分はそんな茶封筒などなんの興味も持たず、いつもと変わらず飯食ってパソコンやってグダクダしてた

母さんは滅多に使わない家の固定電話からどこかに電話をかけていた
一箇所は、小学生の時に預けられていた母方のじいちゃんばあちゃんちだと言うことはわかった

もう一箇所は普通に他人と電話応対するかのような口調で話していた
どちらも詳しい内容は聞こえてこなかった

76 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 11:10:41.93 ID:8J6bIrIT0
高校2年の5月末だった
茶封筒の届いた次の日

うちの家族は決して仲が悪い訳ではないのだが、あまり挨拶や家族団らんといったことをすることがなかった
おやすみ、おはよう、いってらっしゃい、ただいま、おかえりなどもあまり言ったことないし、食事は一緒にしてたけど家族三人で集まって話すこともなかった
まあこれは普通の家庭でも多いかもしれんが

そんな中、夕飯前母さんが明るい感じで
「お話があるから2人ともここに座りなさーい」と言った
俺と妹は「腹減ったわー!」「先メシ!」などと文句を言いながらも座った

77 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 11:52:12.93 ID:8J6bIrIT0
母さんは昨日届いた茶封筒を手に取り

「お父さんのこと覚えてる?」

まだ小さかったので俺は僅かながら覚えてはいたが、妹は写真で顔を見てようやく思い出す程度だったという

「お父さんね、亡くなったんだって。」

あまりにも突然すぎて、その時は何を言っているのかわからなかった

もう父さんがいない生活の方が長かったし、生きているかどうかもわからなかったから、かなしさよりも見つかって良かったという気持ちの方がその時は大きかった

81 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 12:05:48.56 ID:8J6bIrIT0
その時は2人とも泣かなかった
もちろん悲しい気持ちはあった
当たり前だよね実の父親が死んだんだから

妹の心情は今でもわからないが、自分は外に出て携帯で真っ先に彼女に電話した
彼女しか話せる人がいなかったし、気づいた時には彼女が電話に出てた

元々電話なんて滅多にせず、全部メールで済ますようなタイプだったので、電話かけた時は自分でも少し驚いた

彼女も当然驚いており、そこで話をした

「父さんがさ、死んだんだって」

彼女は「えっ…」と発してしばらく黙っていた
号泣してた

「一緒に探そうねって言ってたばかりなのに…もう少し早く探してれば…」
と言ってくれた

彼女の声を聞いてやっと事実を受け入れられてきた
直接ではないが、彼女のお父さんは
「しっかり天国におくってやりなさい。」
と一言だけ言ってくれたらしい
短い言葉だけど、同じ境遇で父親と死別したことのある彼女のお父さんの言葉はすごく胸に響いた

79 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 11:59:06.46 ID:ShcrWibm0
父さんは最期までいい人でしたオチ

80 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 12:05:14.35 ID:TVj5Jg2s0
てか、今母子家庭多いよな
クラスで、母子家庭父子家庭の人がもらう
手紙もらう人
クラスに絶対3~4人いる。

82 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 12:07:57.47 ID:8J6bIrIT0
>>79
あまりそれは思ったことない
美化してるように見えるけど、やっぱり酒に負けて俺らを捨てた事実は変わらんから

>>80
今は多いですね
自分の頃はまだ偏見が少し残ってる時代だったので、今ほどではありませんでした

83 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 12:13:59.57 ID:8J6bIrIT0
茶封筒の内容は父さんの死の知らせと、葬儀内容についてだった

身よりもなく、後で書くけど働くこともできなかったみたいで、生活保護を受けて施設で暮らしていたらしい

命日は5月半ば
自身の誕生日の翌日に亡くなったらしい
死因は肝硬変
もう肝臓がほぼ機能してなかったらしい

市役所の人は施設からの依頼を受けて、必死になって身内を探してくれていた
そしてうちにあの茶封筒が届いたというわけ

85 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 12:20:37.09 ID:8J6bIrIT0
茶封筒には葬儀日時や場所も決められていた
生活保護の少ないお金で執り行うので、質素な葬式になると聞かされていた

後で聞いた話だけど、茶封筒が届いた日に母さんが電話をかけていたもう一箇所は、父さんの生まれた東北の育て親のところだった

父方、母方の両親に、俺と妹にこのことを話すかを一晩中相談し悩んだらしい
話さずに自分だけ葬式を済ませ、父さんはもう死んだという事実だけを伝えることも考えたという

84 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 12:14:01.26 ID:ShcrWibm0
いい人だから一緒にすむ×
→いい人だから一緒に住まなかった

酒乱なのに一緒に暮らしたがる奴はむしろ自己中カス
ホントなら酒乱でなく一緒に暮らすのが最高なんだろうが、

自分が子どもの為にならないと見越して、子供から離れる→男→いい人

と思った

87 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 12:22:33.72 ID:8J6bIrIT0
>>84
本当そうだと思う
酒に溺れる時点であまりいい父親ではないのかもしれないけど、そういう決断をしてくれて今は良かったのかなと思ってる

88 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 13:08:01.39 ID:8J6bIrIT0
葬式の日

じいちゃんばあちゃん、母さん、俺と妹の五人で電車に乗って葬儀会場へ

葬儀会館のビルに入ったが、案内されたのはまるで控え室のような何もない小さな部屋だった
そこにいくつかのパイプ椅子と白い棺桶が置かれていた
生活保護の少ないお金でやる葬儀なんてこんなものなのかと思った
自分で稼いで、もっとちゃんとした葬式にしてやりたかったと悔やんだ

当時は税金の仕組みなんてのも知らなかったので、そんな罰あたりなことばかり考えてた

90 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 13:34:55.20 ID:8J6bIrIT0
お経をあげる人がくるまで、しばらく対面の時間が設けられた

顔のところの小さい覗き窓の扉を開く
無言の再会だった

坊主頭で無精髭、特徴的だったギョロッとした目は静かに閉じてて本当に眠ってるようだった
吹き出物が出来やすくて、鼻に大きな吹き出物もできていた

いかん書きながら泣きそうだ

91 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 13:48:47.35 ID:8J6bIrIT0
死後時間がだいぶ経っており、これだけ遺体の状態が良いのも珍しいと言われた

ばあちゃんが、

「あんたらに会うのを頑張って待っててくれたんだねえ。」
と言った

そこで初めて泣いた
もう高校生にもなると泣き方忘れるくらい泣いてなかったんだけど、とにかく泣いた

92 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 13:54:23.18 ID:8J6bIrIT0
直接顔に触ることもできた
冷たく硬かった

妹は刺激が強かったらしく、椅子に座ってずっと泣いていた

自分はもう二度と会うことは出来ないから、時間ギリギリまで父さんの顔をじっと見て泣いてた
目に焼き付けると同時に色んなこと思い出しながら顔を見てた

94 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 14:00:45.55 ID:8J6bIrIT0
出棺の時

花や果物、大好きだったお酒を手向けた
白い布から見えた父さんの手足はやせ細っていて、肝硬変のせいなのか真っ黒になっていた

俺が父さんにお酒を手向けてる時、生まれて初めて母さんの涙を見た
超冷酷人間で涙など見たことはなく、それには驚いた

火葬場には何故か連れてってもらえず、霊柩車に乗せる間際まで棺桶を掴んで離さなかった

霊柩車は発車して、本当に最後のお別れをした

95 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 14:05:56.64 ID:8J6bIrIT0
読んでくれてる人ありがとう

iPhoneの不具合見せにアップルストアに行ってくるので、少し時間空きます
数時間で帰ってこれると思うけど、もし本体交換とかになったらID変わるのかな?

トリップつけてまた書くのでよろしく
この後は後日談が多くなるけど、まだ続くので待っててください

99 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 15:44:28.50 ID:A5R1Sp2+0
肝硬変って、お酒の飲み過ぎでなる病気?(´-ω-` )

104 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 16:07:50.20 ID:8J6bIrIT0
>>99
そうとは限りませんが、原因の大半は飲酒が占めるようです
肝臓が壊死と再生を繰り返して行くうちに、小さく硬くなって肝臓の機能が停止していってしまう病気だそうです

100 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 15:49:15.19 ID:kNofYgZE0
かーちゃんが手に職をもっててくれたってのもあっただろうな
職にメドがたたなきゃでてくこともできなかったかも。

101 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 15:53:09.17 ID:ShcrWibm0
あと離婚を許しまとわりつかず会わずに通した父にも感涙

105 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 16:09:27.48 ID:8J6bIrIT0
>>100
女手一つで2人も育ててくれたのは尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです

>>101
どんな気持ちだったのか、今となっては知ることもできませんが、話せるなら聞いてみたい

106 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 16:18:37.47 ID:8J6bIrIT0
後日、市役所の方(亡くなった知らせをしていただいた方)とお話する機会があり、亡くなるまで住んでいた場所、病院などを教えていただきました

飲酒どうしてもやめられず、働くことも出来なくなった父は、同じような人達が集まって共同で生活する公営の施設に入っていたとのことです

そこに遺品があるとのことで、母と2人で遺品を取りに行きました

107 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 16:27:48.80 ID:8J6bIrIT0
遺品は大変少なく、
着古した服がダンボール一箱分
病院で履いていた草履のようなもの
シチズンの小さな腕時計
仕事で使っていた小さな工具セット
小銭とテレホンカードが入った小さな財布

どれもタバコの臭いが染み付いており、今でも消えません
全部持って帰りたかったけど、服は処分していただくことに

それとは別に施設長さんから小さな封筒をいただき、その中には父さんが一人笑顔で映った写真と、父さんの父親の写真の二枚が入っていました

俺や妹や母さんの写真は一枚もありませんでした
それが悲しかった
もう忘れられてたのかな

110 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 17:00:09.90 ID:8J6bIrIT0
その後お骨の引き取りにまた市役所へ

生前父さんは東北の実家の墓に入りたいと願っていたため、東北に電話で相談したのですが、もうみんな高齢で墓の世話をする人がいないため、そちらでなんとかしてくれと言われました

血の繋がりが一番濃いのは自分なので、自分の地元のお寺に納骨してもらうことになりました

集団納骨なのでお骨の返却は出来ないと言われ、少し戸惑いましたが仕方ないのでお願いしました

117 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 22:12:27.69 ID:8J6bIrIT0
あれから数年経つけど、正直今でもよくわからん

捨てられたとも思ってないし、いてほしかったとも思わない
恨んでるわけでもないし

父さんが約10年間どんな気持ちでどんな暮らしをしてたかも全くわからないから、もう自分の中では父親は存在しなかったことになってる気がする

今回こうやってざっとふりかえって文章にする機会があったから、書いてるうちに今の正直な気持ちが見えてくるかと思ったけどそんなことなかった

俺も父さんも後悔だらけだけど、唯一共通するのは生きて再会して色んな話をしたかったことだと思う

これさえできてれば、今みたいな何とも言えない複雑な気持ちにはならなかった
幸か不幸かはわからんけど、もうそれは叶わないからね

118 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 22:43:55.12 ID:bqUp29adP
彼女さん、彼女さんの家族の存在感が大きいようだが、
その後の彼女さんとはどうなっているの?

119 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 22:44:14.12 ID:3KqWxWfe0
お父さんは奥さんと縁を切っただけで子供を捨てたわけではないと思う。結果的にはそう思われて当然なのかもしれないが。
自分の子供と同じ年代の子供をみかけた時や子供の誕生日には寂しくなったり過去の行いを反省してたのかも
父親は存在しなかったことになってると言うけど>>1の文章からは父親への愛情を感じたりしますよ

120 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 22:47:49.71 ID:8J6bIrIT0
>>118
今も仲良くやってます
もう6年くらいの付き合いになりますね

>>119
ありがとう
どうしても父親がいた実感がわかないのは、やはり一緒にいなかった時間が長すぎたからかもしれませんね
父親への感謝はもちろんしています

121 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 23:15:05.88 ID:3KqWxWfe0
>>120
今はその気持ちだけでいいのかも
これから結婚して自分が親になった時、自分が父親の年齢を追い越してしまう時、いろいろな時にまた思うことがあるよ。
>>1は幸せな家庭をつくって長生きしないとね!

122 名も無き被検体774号+ 2013/01/08(火) 23:18:26.29 ID:8J6bIrIT0
>>121
ありがとうございます!
よく自分の親が亡くなった歳になると色々と思うことがあるって言いますよね
長生きしないと

123 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/08(火) 23:28:34.25 ID:8J6bIrIT0
時間を追って書くのはこれで一通り終わりです

21年間のことをたった一日で文章にするなんてとても無理なので、かなりざっくりと書きましたが、読んでくださった方々ありがとうございました

この先はスレが落ちるまで、後日談や思い出したこと等書いていけたらと思います

何かわかりづらかったところや聞きたいこと等あれば答えますので

こういうのってまとめとかに載ったりするのかな?
彼女や家族くらいにしか身バレしないと思うので、まとめブログでもツイッターでも、なんでも常識の範囲内で勝手に使ってください

父親に対して良くも悪くもそれぞれが色んな思いを持ってると思いますが、下手な文ですがこれを読んで何かを考えるきっかけになればと思います

124 名も無き被検体774号+ 2013/01/09(水) 00:10:53.30 ID:/dAFReVY0

なんだか>>1の話を聞いてたら父親に同情したくなるような気もするが、
でもやっぱり>>1はそこまで父親に会わずに済んでよかったと思う

いくら調子の良い時は優しかろうと、酒に溺れて暴れまわるような奴は屑だ
時折優しいのはDV男のハネムーン期と何も変わらない
頻繁に会ってたら、どうしても悪影響を受けていただろう

でも母親の決断と、父親に残った最後の理性とで距離を置くことができたのは本当によかった

そのおかげで>>1が父親を憎むことは避けられた
それどころか彼の死を悲しい、寂しいと思うことができる

親を憎んで憎んで、最期まで早く逝ってくれと願い、
解放されたはずの今もトラウマに苦しんでいる人がいるもんだから、余計にそう思う

126 名も無き被検体774号+ 2013/01/09(水) 11:24:16.98 ID:kDh4vcN/0
>>124
父親に関しては恨まれる例の方が多い気がしますね
自分が恨むことなく父親の死を受け入れられたのは両親の決断のおかげですね

125 名も無き被検体774号+ 2013/01/09(水) 00:22:56.45 ID:3zOQ0UvPO
俺も>>124の通りだと思う
恨まずにいれるのは幼少期で離婚してくれた母親の判断のおかげだし、それは揉めて離婚した片親家庭において言えばかなり幸せな事だよ

たぶん>>1は生きた状態で父親に会えずにモヤモヤしてる部分もあるかもしれないけど、会ったらもっと傷付いている可能性が高いからね

>>52に書いたけど、実際俺は会って余計に傷付いたし、そういう人はたくさんいると思うよ

127 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/09(水) 11:26:37.75 ID:kDh4vcN/0
>>125
会っていい方向に傾くとは限らないですよね
でもたとえ傷つくことになっても、一度生きてる父親に会ってみたかった気持ちの方が今は大きいですね

129 ◆vkWXq8l2mE 2013/01/09(水) 13:16:13.64 ID:kDh4vcN/0
後日談です

授業参観を最後に連絡が取れなくなった父さんですが、実は母親は何度か連絡をとっていたみたいです

何度もお酒の飲み過ぎで病院に運び込まれることばかりで、身よりもないので前妻の母親に病院から連絡がきていたそうです
検査や手術に第三者の同意が必要らしく、母親がその都度同意書を書いていたりしていたと聞きました

離婚する時点で、もうお酒絡みの病気で次はないと言われていたらしく
それから約10年入退院をくり返してたってことは、なるべくして肝硬変になったのかなとも思います

父親自身の意志の弱さもありますが、お酒で亡くなった父を見てきたので、自分は成人してからもお酒はほとんど飲んでいません
正直お酒が嫌いです
もちろん好きな人を否定する気はありませんし、人によって違うことはわかっていますが、お酒の味とかではなくお酒そのものの存在が自分は嫌いです
仕事のストレスも相当なものなのはわかりますが、酔って他人に迷惑をかけたりしている人をみるとすごく残念な気持ちになります

幸いお酒があまり好きではない体質に生まれてこれたので、付き合いで仕方ないときは平気ですがこれからも好き好んで飲むことはないですね

父親の家系は代々お酒が原因で亡くなっている人が多く、自分の代でこの流れは断ち切らないといけないなと思います

ですが、やっぱり死んでもお酒が大好きな人だったので、命日やお盆などの行事のときは父さんが残した最後の写真を前にビールを呑んでいます。

あれだけお酒大好き人間だったので、いつか息子と呑みたいと思っていたんでしょう。
会話こそできませんが、その夢を叶えてあげられたかなと思っています。

130 名も無き被検体774号+ 2013/01/09(水) 14:10:12.37 ID:0UQJuvoK0
ポカーン
見たいな感じなのかな。
1さんも共感や共有をしてもらいたい訳ではないし
きっと父親も。

内容だけだと乾いた話なのだけれど施設でも父の一人の
笑顔の写真がなんかよかった。
父親は離婚されて不満もあったろうけど
1を授かったことで(育てるまではいかなかったが)
結構幸せだったのではと思えた。

生と死の記録 ―続・三陸物語―
生と死の記録 ―続・三陸物語―

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