部落差別の対象になっている土地生まれの俺の人生語りに付き合ってくれ

ちょっと俺の人生語りに付き合ってくれないか

1: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:43:33 ID:EfL
少し思うところがあって書きたい。
良ければ読んでくれ。特に今人生に悩んでる人とか、困窮してる人とか。この先に悩んでる人とかも。

というのも、俺が困窮しまくって、将来に不安を抱きまくっていたから、少しでも参考になればと思っただけで、単なる面白話くらいに聴いてくれ。

まず、俺が生まれたのは雪の深い地域、その山奥にある集落……と呼べるほどの田舎町だった。たぶん地名も普通に~市じゃなく、~町、村だったと思う。
後から知ったが、そこは部落差別の対象になっている土地だった。

2: チンカス◆vWbdXpni/g 2016/10/04(火)23:44:07 ID:Tgf
聴こうじゃないか

3: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:44:14 ID:6m5
とりあえず続けて、どうぞ

6: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:46:37 ID:UPt
いや、そんなことより俺に語らせろ

7: チンカス◆vWbdXpni/g 2016/10/04(火)23:46:55 ID:Tgf
>>6
いいぞ

9: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:47:51 ID:EfL
>>6
別スレで頼む。

8: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:47:36 ID:EfL
生まれて早々、俺の幼少の記憶には犬がいた。
雑種だったが、可愛くて、いつも脱走しては俺と母さんに逮捕されるようなわんぱく犬だった。
ロープを引きちぎって逃げてしまう程度には野生に慣れていて、ほぼ山だった俺の故郷を、たぶん俺より知り尽くしていた。
そんな犬と幼少を過ごしていた俺は、段々物心がつくにつれて、感情を身に着けていく。
そのたくさんある感情のなかで、初めて染み付いたのは「恐怖」だった。それを今でも覚えている。

おれの親父はDV持ちだった。閉鎖された山間部の田舎では、大事にもならず、俺の母親はいつもいつも、酔った親父に殴られていた。

14: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:49:52 ID:L5m
>>8
すんげぇ、ど田舎の集落じゃん。派閥とか激しそう

15: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:51:40 ID:EfL
そこで、俺は恐怖を知ったわけだけど、その恐怖に対する反応は、立ち向かう……というものではなかった。
自分に火の粉がかからないように、避ける。 それが俺のとった対処行動。
具体的に言えば、夕方。普通にテレビを見て、笑っていたところに、父親が帰宅する。
俺は急いでテレビを消し、横に控えていた勉強道具を机上に開いて勉強を始める。
母親は寒い台所に立って一人料理を作っていたが、それを見て何も言わなかった。

直ぐに父親は俺のところへ来て、言う。「おー、勉強か! 偉いなあ!」
俺は形だけの笑顔を張り付けて、言う。「うん! おかえりなさい!」
だいたいこんな感じのやり取りを、いつもいつも続けていた。 当時、3歳のころだった。

16: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:53:02 ID:23q
3歳?

18: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:00:11 ID:dI2
>>16
3歳。話すのが早かったらしい。

17: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)23:59:49 ID:EfL
少し話は飛ぶが、俺には少し年の離れた兄がいる。
そのあたりは少し複雑だから割愛するけど、俺と兄は種違いの兄弟。だから俺の親父と兄は、直接の親子関係にない。
そんな兄が俺は大好きだった、そんな記憶が残っている。すべての嫌なことがなくなって、安心感に包まれる。
年の離れた兄は、俺のことを大変かわいがってくれて、俺もそんな兄をとても慕っていたらしい。

だけど、DV親父は母親だけではなく、兄にも目を付けていた。
俺の母親がとある理由で入院した際、家には俺と兄と父親だけとなることがあった。
それまでは長男である兄をかばってくれていた母が不在。父親はすかさず兄に目標を変えて、いじめを始めた。
母もそんなに長い入院生活ではなかったが、それ以上に、父親の底意地が悪かったのだろう。
当時小学生だった俺の兄は耐え切れず、母親の病院へ連絡をいれたそうだった。

「耐えられない、こんな生活はもう無理だ」と。

直ぐに兄は市外にある施設へと預けられた。母親も完治していないまま退院して家へ戻り、父親と俺が二人きりにならないようにした。
それが気に入らなかったのか、兄がいなくなったことも含めてか、父親はさらにエスカレートしたらしい。

19: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:02:53 ID:HYD
3歳で勉強道具わろた

22: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:05:50 ID:dI2
>>19
まったく理解できていない掛け算の問題を母親が持ってきていたんだ。
チャレンジ小学生、みたいなやつ。あれとか。
でも国語は当時からできていたから、かんたんなひらがなの勉強とかはしていたと思う。
父親が帰ってきたときには勉強なんてしていなくて、その教材まがいのものを急いで広げて、フリだけを死ぬ気でしていた記憶がある。

20: ふがえもん◆y2PKXDcX0w 2016/10/05(水)00:03:42 ID:Mrr
3歳で勉強って何やるんだよwwt

22: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:05:50 ID:dI2
>>20
まったく理解できていない掛け算の問題を母親が持ってきていたんだ。
チャレンジ小学生、みたいなやつ。あれとか。
でも国語は当時からできていたから、かんたんなひらがなの勉強とかはしていたと思う。
父親が帰ってきたときには勉強なんてしていなくて、その教材まがいのものを急いで広げて、フリだけを死ぬ気でしていた記憶がある。

21: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:04:10 ID:dI2
とうの俺はといえば、失語症になったらしい。
その時のことは、きれいさっぱり覚えていない。
本当に、母親が入院している間のことも、まったく記憶にないし、失語症になったということも、母親が後から教えてくれただけで、記憶になかった。
それでも、毎週末には片道1時間少しの時間をかけて、母親が兄を連れてきてくれていた。
俺はその金曜日がとても楽しみだったことを覚えている。好きなアニメ(当時は犬夜叉)が放映されていて、それを兄と一緒に見るのが好きだった。
楽しい週末が終わると、それまでが嘘だったかのように父親は母親をさらにひどく殴った。
その間、おれは相変わらず自分がやられないように、と自己の防衛にいそしんでいた。

保育園にもそのころ、通わなくなっていた。

23: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:05:59 ID:dpU
保育園時代の記憶なんて覚えてるもんか?

24: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:09:55 ID:dI2
>>23
少し話すよ。

保育園は、吐き気がするくらいに嫌だった。
田舎の保育園はたぶん、想像以上に酷いところだと思う。
先生も結局地元の人だから、全ての情報は筒抜け。おそらく俺の親父がロクデナシだということもお見通しだったのかもしれない。
俺は当時なぜか、めちゃくちゃに口が悪かった。わけもなく人を糾弾していたことを覚えているし、そのくせ喧嘩をしたいだなんてこれっぽちも思っていないから、手を出されて初めて、相手が怒っていることに気付いていた。
そんなことが続いて、友達もいなかったし、いじめられるし、先生にも嫌われるしで、いまでもあの緑色の出入り口を思い出すと嫌な気分になる。おそらくこれがトラウマなんだと思う。

4歳にはもう、保育園にはいかなくなっていた。
完全に引きこもっていたと思う。もしくは山で遊んでいた。

25: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:13:32 ID:dI2
そんな生活も5歳まで続き、小学校へ入るのも目前という頃、俺と母親は家出をした。
朝、目が覚めると母親がドタバタと忙しそうにしている。
「どうしたの?」と尋ねると、「着替えて、家出るよ」とだけ。
俺は、その時どう思ったのか、もうわからない。ただ混乱していて、自分のいた場所がいいも悪いも考えられなくて。
それでも、何かが変わってしまうということを理解した俺は、こう言った。

「お父さんに、出ていきますって、書置きしなくていいの?」

たぶん俺は、自分に手を出さない父親を好いていたのだと、今は思う。
というか、父親に飢えているのは、今になってやっと自覚的だ。しかし、当時の母親からすればたまったものではない一言だったのだろうと、想像がつく。

そして俺と母親は、母子家庭専用の支援施設へと移り住むことになった。

26: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:17:40 ID:5Rp
親父カンカンだな

28: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:22:13 ID:dI2
>>26
かんかんではなかった。
権力や法には弱いから、決まったことには逆らえなかったみたい。
その後も俺に会いたいと電話が来てはいたし、何度かあったけれど、関係は悪くなかった、はず。
今だから言えるけれど、DVさえなければ、というか酒に逃げるあの弱さがなければ、もっと違う人生を送れた人だと思う。

27: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:20:34 ID:dI2
そこは、自分よりはるかに年上の中学生がいる、恐ろしいところだった。
本当は、もっといろいろな問題や悩みを、母親が抱えていたはずだけど、小学校に上がる前の俺からすれば、その程度の認識だった。
毎週おやつが出るし、殴ってくる父親はいない、いい場所だと、初めは思っていた。
なにより母親が、少しだけ楽そうに見えて。それがうれしかった。

しかし俺は、そこでもまたいじめられることになる。
同級生の子供も数人いたのだが、やはり俺と同じような理由で逃げてきた、という表現が似合う境遇にいた子だ。
何かしらの傷を負っていたし、問題のある精神は、問題のある行動を起こす。気弱で口だけが達者な俺はいい的になったらしい。
結果としてすぐにその場所を引っ越して、賃貸アパートに移り住むこととなったが、そこで俺をいじめてきた子供たちは、小学校も同じになったため、変わらず俺をいじめてくるようになった。
6年間、俺はいじめっ子の座を欲しいままにした。

父親とは、引っ越してきてからすぐに離婚調停が為されたらしい。
難しいことはわからないが、地元の少し大きな公園に行って、神妙な顔の両親に、告げられた言葉は今でも忘れられない。
「お父さんとお母さん、どっちについてくる?」と、5歳の俺には意味の分からない質問をされた。

今では、母親と答えていて本当によかったと思う。苦労は多かったけれど。

30: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:27:50 ID:dI2
小学校の話は特にない。
放送委員会に入っていて、お昼休みは給食を教室に置きっぱなしにして半分ほど過ごしてしまうから、給食に悪戯をされていたり。
例の同施設にいた子に少し高いところから落とされて、頭を打ったり、仲間外れにされたり。
挙げればきりがないけれど、俺の人生という視点から見ればどれも些末なことだから、飛ばそう。

中学校ももちろん田舎だから、小学校とほぼ人が変わらない。
ただ大きな3つの小学校から人が集まってきて、結構な人数のいる中学校だった。
俺は、またそこでいじめられることが嫌だった。どうにかして人生を変えようと思った。
当時、俺は銀魂というコミックスを読んでいた、そして何故、この漫画を手に取ってしまうのかを考えた。
面白いから、という理由が頭に浮かんで、そのご人気者はなぜ人気者なのかを考えてみた。
こちらも面白いから、という理由が思い当たった。そして俺は確信した。

面白ければ、いじめられないし。 うまくいけば人気者になれるのでは? と。
その作戦は中学1年、13歳の春からスタートした。

31: ふがえもん◆y2PKXDcX0w 2016/10/05(水)00:29:58 ID:Mrr
いいぞいいぞ

32: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:30:49 ID:dI2
なかなかに好調な滑り出しを見せていた、俺のユーモアあふれる学校生活。
近隣の席の人とも、本来なら話したくもなかったが「いじめられないため」に「笑わせなくては」という使命に置き換えてしまえば、たやすく言葉を交わせた。
今までの自分が嘘のように、友人ができて、遊ぶような間柄の人も現れた。簡単だと、正直思った。
部活にも入っていたが、まじめに練習する気にはならず、遊んでばかりいた。ちなみにサッカー部だった。へたくそだけれど。

34: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:34:05 ID:dI2
正直うまく演じることができた。そして俺というキャラクターは「面白い奴」で固まり、居場所もある程度作り上げることができた。
今までの人生とのギャップに驚いた俺は、「学校は楽しいところだ」という気持ちを、生まれて初めて持つことができた。
俺の場合は、少々無理をしている感が否めないけれど、それでも今までがひどすぎたせいか、本当にそう感じて、充実もしていた。
そうして俺というキャラクターの強烈さは学年に広がり、いじめの標的ではなくなった。と思う。

たまにちょっかいを出されるようなことはあったが、今までに比べてみればいじめではなかった。
キャラクターの大事さを実感しつつ、俺は二年生へと昇級した。

36: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:40:29 ID:dI2
そこで、おれはより自分のキャラクターを固める出来事に遭遇する。
小学校時代の人気者、A君に声をかけられたのだ。一緒に漫才をしないか?と。
正直うれしかった。分かる人にはわかると思うが、ヒエラルキー下位の者から見れば、上位の存在に声をかけられるというのは、ちょっとした事件だ。
そんな事件は、俺を確実に、変えてくれたと思う。

「一緒に漫才やらないか?」
「いやいや、無理だってww」
「お前には突っ込みの才能あると思うんだよ!!」

何度か断ったが、彼はそう言って、俺をツッコミ役に抜擢した。
正直、務まるとは思っていなかったし、実際にネタを書いたのは彼で、俺の演技は酷いものだった。
それでも、いじめられっ子のACが漫才という、ギャップが個人的にはすごく面白かった。
地元のテレビ局にデモを送り付けて、小さな企画で、少しだけだがテレビにも出た。緊張しすぎてダダ滑りだったのも、今となってはいい思い出だ。彼にとってどうかは、わからないけれど。

37: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:43:07 ID:1TB
いいかんじだな。今のところ

38: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:44:54 ID:dI2
その後もいろいろあったが、一応部活にも在籍したまま、なんやかやと三年生へ昇級した。
もちろん勉強は適当。部活も適当で、推薦なんて初めから考えていなかったし、遅刻ばかりしていたから内申点も酷いものだったはずだ。
ただ、当時の俺にとっては、そんなものを気にしている時間はなかった。
小学校、それ以前に忘れてきた「生きている」という実感を、取り戻す。そのためだけにすべてをこなしていた気がした。
もちろん上手くはいかなかったけれど、俺がそう考えている、ということがとてつもない奇跡だった。

何故なら、俺は親父のもとから逃げてきたときから、生活保護家庭になっていたから。
それを知っていたからなのか、無意識で俺は、「無心でやりたいことができるのは今だけだ」と考えていた。心のどこかで。
だから、どれだけ怒られても遅刻は治らなかったし、勉強も適当だった。高校のことを、本当に考えたくなかったし、進学できるのかもよく分かっていなかった。

40: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:47:28 ID:sqN
お前も手のひらにマジックで丸書いて風穴!とかやったの?

42: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:49:11 ID:dI2
>>40
やってないけど、爪伸ばして「さんこんてっそう!!」ってやってた。

41: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:48:48 ID:dI2
家でも進路を話し合うことはあった。俺はよくわからないまま、とりあえず就職率のいい高校を選べばいいのかな、と思っていた。
大学という存在は本当に雲の上にあって、札束を雲の高さまで積める人間が、雲の上まで飛んで、そこからグライダ―飛行して社会に出ていくものだ、というイメージを本気で持っていた。というか今でもあまり変わらないかもしれない。
だから、俺は就職をして、自分で札束を積んで、飛ばなくてはならないと、漠然と思っていた。そして選んだ高校は、決して頭がいいとは言えないが、バカとも言えない、商業高校だった。

のちに、それが大失敗であったと気づくけれど、中学三年生の俺はとにかく、「生きている」と感じることが重要だったから、深く考えていなかった。

44: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:54:00 ID:dI2
あまり参加しなかった部活では、俺は微妙な立場になっていた。
もちろんサッカーは上手くないし、顧問が変わって強制で売りつけられたユニフォームは金がないと切り捨てて、プリントを親に見せることもなく捨てていた。
団結をする気もなかったし、正直できるメンツだとも思っていなかった。ただ、球を蹴ることは大好きだったから、気晴らしに行っていた。
中学二年、三年になると、高校を意識し始める人もいて、もちろん違う高校に行くやつの中には、自分より偏差値が上の子も下の子もいた。

だんだん、そういった感覚もあったのかもしれないが、俺に対して風当たりの強い奴が出てきた。
もちろん、まじめに練習せず遊び感覚で学校に来て、給食を食って部活を遊んで帰るようなクソガキだ、説教をしたくなるのも、めちゃくちゃ理解できた。

そして俺が「生きている」実感を得るために、あえて目立とうと、面白くなろうと空回りを始めたのも、その辺りのことだったと思う。

45: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)00:59:18 ID:dI2
校則を平気で破り出してから、俺は怒られることで目立とうと思っている節があった。
アルバム用に、シャツの姿で写真を撮ると言われた際も、一人だけブレザーを着たり。今考えればあほみたいで、くだらないけれど、俺からすれば、見てほしくてとった手段だったのだと思う。
昔父親が来た時に勉強道具を広げたように、俺はブレザーを着ていたのだと思う。

そんな俺を、やはり見下す人も現れ始めた。どうせ高校も違うし、今しかないとの判断だろう。
直接俺に言わず、回りくどいやり方で俺への不快感を示してきたが、その手の嫌がらせを受けた感覚が久しぶりで、俺はまた少し、昔に戻ってしまった。

結局、俺という人間が問題で、いじめられていたのだ。それは変わらない。
うわべだけを面白くつくろっても、それは俺ではない。騙して得た笑顔を、俺は「生きている」実感だなどとのたまっていた。バカみたいだ、と。
ちょうど、明るくふるまうのにも疲れてきていて、俺は、付き合い方を変えなくてはならないと、感じていた。

48: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:02:49 ID:dI2
それでも、高校受験が近づくと、やはり家庭内はぴりついていた。
本当に受かるのか?勉強もろくにせず、学校には午後からしか行っていない。金は?間に合うのか?
俺はここに来て初めて、自分の家庭が、母子家庭で生活保護であるということを知った。その問題の本質を垣間見た。将来を、ある程度強制的に定められてしまうのだと知った。

しかし、友人の勉強会に混ぜてもらい、なんとか高校に合格を果たす。受かるとは思っていなかったし、落ちたらどこかに飛んで、住み込みで修業をして、料理人になるのもいいかなと、考えていた。
高校への入学が決まったとはいえ、特に何も変わらず、長めの春休みを堪能し、入学式を迎えた。

49: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:04:07 ID:ppJ
私立?公立?

51: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:09:26 ID:dI2
>>49
公立だよ

50: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:09:17 ID:dI2
学校のことばかりを語っていた。少し家のことも書かせてほしい。
もちろん学校でもたくさんあったけれど、小学校、中学校のときは家でもいろいろなことがあった。

小学校2年、俺が7歳のとき、母親は近所でパートとして働いていた。
既に生活保護だったから、家計は苦しいままだったけれど、親もまだ快活で、問題はなかった。
そう思って家に帰ってきた俺だったけれど、ドアノブをひねって玄関に入ると、知らない大きな靴が目に留まった。

はてなを浮かべながらランドセルを置きに部屋まで行くと、ふすま一つを隔てた向こうから、母親の声と、しらない男の声が聞こえてくる。
おそるおそる、本当にゆっくりとふすまを開けてみてみると、母親が上下運動をしていた。おそらく騎乗位だったのだろう。今となっては笑いごとだけれど、当時の俺にはめちゃくちゃな精神ダメージを与えた光景だ。
相手は、同じ職場の、一回り年下の男だった。あの当時、母親はその男に依存していた。

いつも酔っていたし、男といつもべたべたしていたし、俺の前でも平気で過激なスキンシップを図っていた、相手の男も、今思えば相当頭がゆるい。
兄は我関せずを貫いていたから、その時からすでに止める役割は俺だった。酔いすぎたときとか。

52: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:14:05 ID:dI2
書き忘れていたけど、兄は、母子家庭用の施設を出た時点で同居に戻っています。
俺が小学校2年の時。

同じく小学生の時には、親の酒乱にたくさん迷惑をかけられた。
兄は毎回決まって、俺にその後始末を押し付けて行ってしまって、不信感をずっと抱いていた。
俺がずっと好きだった兄はもう変わって、居なくなったのかと。
同時に母親にも、不信感を抱いていた。俺がしっかりしなくては、守らなくてはならないのか、と。

小中学生の頃は、毎晩、怖かった。
笑われるかもしれないけど、今強盗が入ってきたら確実に俺では守り切れないだろうな、と。
父親の持つ、絶対的な安心感を得ないまま、俺は大人になってしまったのだと思う。

56: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:22:26 ID:dI2
そして時はもどり高校入学。
特に何事もなく高校生らしく一年を過ごしたが、もうそのころから進路をどうしたらよいのか、という問題に直面していた。
金がない家庭、就職を当初は目的にしていたが、兄や母親に対して、俺は当時、不信感を抱いていた。
生活保護という特性上、俺は高校卒業後家を出なくてはならない。 進学にしても就職にしても独り立ちしなくてはならない。
しかし、高卒で就職するという選択は、当時の俺にとっては、家のために自分の将来を捨てる、ということだと考えられていた。
進学して教育を受ければ、自分のやりたい仕事に近づくし、給料も高いから、親に仕送りをしても自分のために生きることは難しくないのではないか?など、考えだしたらキリがなくなった。
そして、俺の学校は商業高校。偏差値も決して高くはないから、センター試験での勝負は愚策とされていた。
つまり進学するなら、資格を取って推薦入試で国公立、という方法しか、俺に実現可能なものはなかった。
しかし実現可能といっても、多額の奨学金は残るし、生活と学費、それをすべて自力で行うことが本当にできるのか? 自問すればするほど自身は消えていった。
家族に相談すれば鼻で笑われ「生活保護から進学なんてありえない、お前は就職すると言って高校を選んだんだ」の一点張りだった。アドバイスを俺に与えられる人間は、一人もいなかった。

自分でも、ある程度稀有なケースの過程だと自覚していたし、教師も自分のことしか考えていない人間しかおらず、相談していなかったから、八方ふさがりだった。

高校二年になって、俺は完全な不登校で引きこもりとなった。
いや、バイトはしていたから、完全な引きこもりではないけれど、昼間は外に出なくなった。

57: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:23:57 ID:ppJ
イッチは今何歳?

60: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:30:10 ID:dI2
>>57
今年二十歳になりますね

58: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:25:45 ID:CLx
追いついた

59: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:29:58 ID:dI2
友達は俺を励ましに家まで来てくれたりしたが、学校へはどうしてもいけなかった。
俺という下流の人間が足を踏み入れていいところだと、思えなかった。
私立大学に入って、人生をバラ色で生きていく人間のための場所にしか思えなかった。

「就職するには運動部に入っていなくてはならない。資格も取って、バイトなんてするな」
「進学なら資格を取って、私立大学に入るのが一般だ。国公立には、学年上位に入らなくては推薦できないから、行かせられないな」
というのが、進路指導の言葉で。 何度も指導室に行ったが、どうにも俺では叶えられない条件ばかりだった。
国公立の学費すら厳しいし、部活をやって就職しても家のために働かなくてはならないし、まして在学中の自分のお金はバイトをしなくては手に入らない。携帯も維持できない。無理だった。

そんなことを休学中ずっと考えていたが、結局俺は学校を辞めることにした。
人生に絶望していたし、親はくるっていた。毎晩包丁を研いで、俺を威嚇していた。

「兄ちゃん、あたしあの子殺しちゃいそう……ねえ、兄ちゃん」

ふすま越しに、兄に電話をかけている母親の声と、包丁の研がれる音は、本当に恐怖だった。
高校を辞めたい理由を、何度話しても理解されなかった。俺の甘えだと、切り捨てられた。俺は住み込みのバイトを友人に紹介してもらい、とりあえず家から逃げた。本当にやられるかと、思ったから。

61: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:39:05 ID:dI2
思い出したけれど、一度親父が家に押しかけてきたことがあった。

ある日、機嫌よく父親から電話が来て、母親と話していた。
受話器を切ると、母親は「あいつ、今から来るってさ。 小遣い貰えるんじゃない?」と言われた。
当時中学生だった俺は、それが少し楽しみだった。

結局、たくさんの惣菜と酒を買い込み、親父は上機嫌でやってきた。
さすがに中学生になった俺や、デカくなった兄貴を前に、酔っても暴力は振るわなかった。
上機嫌で飲んでいたのだが、俺の母親も酒癖が悪い。何かで口論になったらしく、親父は酔ったまま、ドアから外へ出て行った。
俺は理由を聞いたが、母親はかなり酔っていて、理由を聞くこともできずにいた。

とりあえず鍵を閉めて、寝ようかと思っていた矢先、母親が俺を呼んだ。
「これ。 あいつの携帯じゃん! ばっかだー、携帯おいてったぞあいつww」

返すべきだと俺は言ったけれど、出て行ったきり戻ってこない親父を探すのは無理だということで、とりあえず俺だけでも起きて待っていなくてはと、携帯をもって部屋で待っていた。
ほどなくして、親父は携帯を返せと家へ帰ってきた。母親は酔っていて、何故だか反抗的になっていた。喧嘩した後に来た気まずさもあり、親父もなぜかヒートアップしていた。

「ああ!? いいから携帯返せ!」
「返せぇ……? んなもん知らんわさっさと帰れ! 警察呼ぶぞ!?」
「おお、よべや! お前、盗難で捕まるぞ!? ああ?」

こんな頭の悪い喧嘩をドア越しに、デカい声で始めた。時刻は12時近かったと思う。
何故かドアのチェーンを付けて、鍵をはずして少しドアを開けた母親は、酒の勢いもあってか挑発を始めた。
ちょうど兄は家におらず、俺しかいない、やめてくれと言ったが聞かず、煽り続けた。

親父が激情したのは、そのすぐ後だった。

62: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:41:06 ID:yrr
うちの弟と年齢も境遇も似ててワロタww

まあうちの場合は俺もフリーターだったってことで、二人一緒に親にどやされてたからストレスはお前の方が段違いに高いだろうけど

63: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:43:47 ID:dI2
>>62
ありがとうございますw

64: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:50:28 ID:dI2
ガンガンガンガン! ガシャンガシャン! と金属のこすれる音と、殴りつけたような音が響いて、俺は驚いてドアに目を向けた。
あほくさいと、部屋に戻ろうとしていた時に、いきなり父親が暴れ出した。

ドアをつかんで、力任せにぶち破ろうとしていた。顔を真っ赤にさせて。
初めて、本当に初めて、自分の父親という存在を知った。

小さなドアの隙間から、顔を真っ赤にして、絶対に開けられない鍵を破ろうと、力任せに癇癪を起していた。
汚い言葉を吐きながら、母親を怖がらせるために。50を超えた男が。
無意識で母親から携帯をひったくり、ドアの隙間に向かって怒鳴っていた。

「うるっせえんだよ!! 携帯ごときで癇癪起こすな、返してやるわくそがあああ!!」

夜中だということも忘れて、古い携帯を全力でぶん投げていた。
今までのすべての恨みを込めて、ぶっ壊したくて、俺も癇癪を起したみたいに叫びながら、携帯を外に放り投げて、鍵を閉めて、部屋に戻った。

母親は「なんで返したんだ! 怖かったのか!?」と散々俺を責めた。
しかし、その声は震えていて、やはり母親は、親父にビビっていたのだと、確信した。

それ以降、親父とは一切連絡を取っていない。
他にもいろいろ言われたことはあったが、直接なにかが起こったのは、これが初めてだった。

65: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:52:26 ID:dI2
正直に言うと、俺もその時めちゃくちゃ怖かった。
殺されるかと思った。

66: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:53:22 ID:1TB
切れてる人間って怖いよな

67: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)01:57:33 ID:dI2
本題に戻る。

結局俺は地元で一番頭が悪い学校に転入学した。通信制の学校だった。
本当におっかないヤンキーがたくさんいて、墨が入ってる人とかといっしょに体育でマット運動したりして、人生でもありえないくらいにカオスだった。
でもなんやかんや、通信制って、今までいた高校の甘えてる生徒とは全然違って、純粋な卒業するという意思がむき出しで、それがなんかとても好きだった。

ヤンキーは見下されるけど、見下す側の人間を経験した俺だからこそ見えるものがあったと思う。
全日制に何も考えず、当然の教育を享受していると思って入学した生徒と、通信制に入って仕事をしながらレポートに追われている人間では、見ているところが違うのだと、実感した。
見下したり、見下されたりするのはそもそもおかしいことなのかなと、そこで初めて気づいた。いじめもDVも、キャラを作るのも、見える範囲が狭すぎたから起こってしまった事故なんだと思えた。

69: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:02:01 ID:dI2
結局、俺は先も決まらずにバイトをしていた。
しかし進学したいと、その気持ちが強くなっていた。
生活保護家庭からの進学を血眼で調べた。もちろん批判的意見ばかりだった。
俺もそれは自覚していたし、生活保護に限らず、困窮した家庭から夢を見るのは「罪」で「罰」に値するという見方が蔓延っているように感じた。

教育は確かに、余裕のあるものだけに与えられる特権だと、俺は理解している。
だから通信制で学ぶ人の目はあんなに必死なのだと、それも理解していた。
だからこそ、その必死になって学ぶ姿勢は、ただ享受するだけの人間とは一線を画すものであることも知っていた。

俺はそれに賭けてみることにした。
調べてみたところ、特待生扱いで入学を許してくれる大学、短大はたくさんあった。
俺はそこへの入学を進路に設定し、必要なものをリストアップしてみた。

70: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:03:34 ID:83c
自分は都会育ちだが団地出身だからそんなの周りに一杯いるよ。
夜に友達が裸足で靴貸してとかってくる。
大概父親が酔って暴れて逃げてきた系。
どうせ行くとこないから、うちで一緒にテレビ見てたら一時間くらいしたらそいつの母親が探しに来るから母親はうちの母親と少し愚痴大会して帰ってく。
うちの父親は朝早いから20時以降は寝てて無害なんでよくこういうことがあった。
自分だけが不幸とか思わない方がいいよ。

81: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:20:31 ID:dI2
>>70
こういうことを言う人がいる、不幸だなんて、思っていないよ。
不幸だと思っている状況、こそが不幸なんだ。
不幸を不幸だと思えなくなってからじゃ、もう手遅れなんだ。

こういう状況にいる子供を黙らせるためにいう言葉は、そう多くない。
「お前だけじゃない」「もっとつらい人もいる」「俺もそうだった」

その言葉で救われるものは一つもない。
何故解決策を示してやれないのか。俺はそれが分からない。
解決策すら探せないほどに疲弊している人に、それを言って、何にもならないのは誰しもわかりきっているはずなのに。

と、思ったので少し自分語りをしたいなあと。
俺のは完全に幸運で、政府が俺が進学するタイミングでこの法令を定めてくれたおかげで、進学できました。
しかし、それを保護家庭の高校生が知っているかどうかは別問題です。
実際、ケースワーカーはそれを知らせる義務を負っていませんから、高校生は知らずに悩み、消去法で就職してしまうことが起こりかねません。

71: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:03:38 ID:Yuj
なんか今日は部落スレ多いな

そもそも部落ってなんなのか知らんし
なんで差別対象なのか意味不明

73: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:06:05 ID:1TB
>>71
今後のために一応ggっておくのをお勧めする

72: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:05:51 ID:8Nk
生活保護のやつは優先的に無利子の奨学金受けれるんじゃないのか?
俺も通信制だったぞ、通信だったお陰で今ぼっち飯全然寂しくない

83: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:21:55 ID:dI2
>>72
おれもボッチ飯が逆に落ち着いちゃって、誘われてもわざわざ図書館で飯食べますw
第一種は経済がきつい人から決めるらしいですから、多分そうですね。
評定も4以下で通るとか聞きますし、申し込むだけ申し込めばチャンスかもですね。

85: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:23:40 ID:8Nk
>>83
お前は第一種じゃないのか?
あと今学んでる学部は?

93: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:29:44 ID:dI2
>>85
母子寡婦福祉資金という機関で奨学金を借りてまして。
第一種とそう変わらない条件で、入学時の資金と月々の家賃分などが出してもらえてます。
で、第一種との併用はできないとのことだったので、JASSOでは第二種も借りてます

74: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:06:24 ID:dI2
・入学金等の入学初年度にかかる大金
・生活を始めて維持していく継続的な収入
・特待試験を突破できる学力、経験、知識などの定着
・役所の説得

ざっと並べて、これくらいだった。
一つ一つが難問に感じられたが、調べていく中で一つのヒントを見つける。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10144834395
おれが以前質問したものがあればよかったけれど、見つからなかったので、同様の質問と回答が載っているページを載せます。

これは、厚労省が、俺が進学を志した年にちょうど事務次官通知を出した法令のデータ?というか事例か。

75: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:10:42 ID:dI2
つまり、就職、進学に限り、枠は狭いがアルバイトの貯金を認めるというもの。

これ、これはとてつもなく大きな進歩であった。
これを知った俺は、画面の前で変な声をあげてジャンプをした。本当に。
これで進学できる、自分の人生を、本当の意味で生きていけると希望に満ちた。

その日のうちにケースワーカーに相談し、俺の貯金を認めてもらう結果になった。

まあその貯金を使われたり、俺が逆に使ってしまったり、いろいろとあって、またたくさんの喧嘩を母親や兄とした。
それでも、通信制に通いながら貯金をし、親に一銭も出させずに特待を受けて進学することが決定した。
本当にうれしかった。

全然頭がいいところではないし、むしろ偏差値はめちゃくちゃ低いところへ進学したけれど、俺の全力ではそれが限界だった。
あとはここから自力で這い上がればいい、と今は思っている。

76: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:11:55 ID:RsQ
すばらしい

84: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:23:28 ID:dI2
>>76
頑張ります。
早く恩を返さないといけないので。

87: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:25:18 ID:RsQ
>>84
機会の平等すらなおざりだかんねー

他人と比べる意味ないってのがわかってるのってどんだけいるんかなとおもうわ

77: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:15:49 ID:dI2
ちなみに進学に際してはJASSOだけでなく、母子寡婦福祉資金というところからも奨学金を借りている。
本当にお世話になったし、どちらの奨学金にもしっかりと返済しなくちゃならないと思うし、そのためにも頑張らなくてはと思っている。
けれど、もう前のような頑張りはしなくていいのだとも、思う。

幼少の「死なないための努力」としてのご機嫌とり。
小学の「虐めに耐え抜く努力」としての我慢。
中学の「虐めから逃げる努力」としての空回り。
高校の「家庭とたたかう努力」としてのバイトや休学、それによる中傷。

それらとは全く違う、これからを作るための努力は、本当に楽しい。
それは面倒だと思うこともたくさんあるけど、今までが辛かったから、屁でもないと思える。

80: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:19:02 ID:zZx
>>77
今現在の母親とお兄さんとの関係は?

88: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:26:09 ID:dI2
>>80
それが、入試実際に受けて帰ってきても「受かるわけねえだろ!」って言ってた母なんですが。
実際に受かってからは認めたらしくて、もう何も言ってこなくなりました。
そして今までの問題が嘘のように、ハリのある生活になってますし、関係も良好ですw

兄もとやかく言わなくなって、いつか一緒に酒を飲めればなーっていうのがささやかな夢です。
仲直りしたいですね……幼少期は仲良かったらしいですし。

92: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:29:14 ID:zZx
>>88
そっか。それならよかった。

96: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:32:51 ID:dI2
>>92
自立は難しいところで……。
今後の医療費のことも考えれば、俺と兄が例えば一緒に支援したとしても、母親を養っていけるかどうか。
取り合えずしっかり勉強して就職して、それからですね。

98: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:36:20 ID:zZx
>>96
親や兄弟を「依存体質」にしてはいかんよ
ある意味厳しさも優しさと割り切って

104: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:41:53 ID:dI2
>>98
自分の人生の充実に、母親の元気を取り戻すというものがありまして……。
俺が稼いで、もちろん自分がつぶれないように楽しんで、そのうえで母親も楽しませてやるのが、俺の充実なんでしょうね。
今までどちらかに偏った考えはしましたけど、どっちもダメでしたしw
バランスが重要なんですね、本当に。

107: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:44:00 ID:zZx
>>104
うん。自分が一番でその他は余力があったらで良いんだよ。
>>1は色々と考えることが出来る子みたいなんで
今後、ますます充実出来ると信じるよ
適当に肩の力抜いて頑張れ

109: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:48:18 ID:dI2
>>107
今だいぶ肩の力が抜けてていい状態ですw
お金の心配をしなくていいって、最高ですね!!
こんな状況を高校の前から味わっていたら、自分はどこまで行けていたかなってたまに考えちゃいますけど。
でもそうなってたらなってたでそれが普通になってしまって、ありがたみを感じなくなるんでしょうね。その点、今の俺は恵まれているんだと思えます。
頑張ります。

78: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:16:35 ID:RsQ
そのくそみたいな環境でつちかわれたタフネスは一生ものや

84: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:23:28 ID:dI2
>>78
そう自負してますw
ただ興味がないものは頑張れないと分かったので、ちゃんと自己分析するのは本当に大事だなと。
そしてそのための時間と環境がない困窮した世帯の子供は、やはり不満を抱えた生涯になるのかなと、強く感じるわけです。

79: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:18:53 ID:Q3X
今は一人暮らしかな
ちゃらちゃらしてる大学生とは仲良く出きるかな

86: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:24:13 ID:dI2
>>79
一人暮らしです。
おれもたいがい見た目はちゃらちゃらしてるから……なんともw
でも友人にはこういう話しませんね。楽しくやってますよ。

82: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:21:02 ID:5Lq
精神ねじ曲がった人間にならない事を祈るよ
幼少期の経験で人間の性格って決まるからな

89: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:27:58 ID:dI2
>>82
ねじ曲がってるかもしれませんw
でもねじ曲がっているからこそまっすぐな人が真っすぐだと分かるわけですし。
自分がねじ曲がっていても、なぜねじ曲がったのかを知って、反面教師になるくらいはできるかなと思います。

自分が真っすぐになりたいというねじ曲がった希望は、もう抱いてないですねw
ねじ曲がってても伸びていければいいかなと。

90: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:28:29 ID:1TB
境遇は選べないけど家庭はそのうち選べるようになるからな
幸せになるのを祈ってるよ

94: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:30:31 ID:dI2
>>90
選べる立場かなあと……w
いずれにしても頑張らなくちゃならないですね。

91: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:28:38 ID:83c
うちは自営で収入誤魔化してたから奨学金の書類出せなかった。
特待生になれるくらい成績よければよかったんだがな

95: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:31:47 ID:dI2
>>91
そういう問題ですか、自業自得と言ってはそれまでですけど、税金対策にだれしもやってることだから難しい。
特待でなくても、生活保護の高校生は国公立大学の学費が免除、減免になるという決まりを知って、衝撃を受けました。

101: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:39:14 ID:83c
>>95
生活保護受けないために収入誤魔化して公営住宅に住んでた。
まあ、自営っていってもトラック運転手なんだが、高2の時に事故してトラックも収入もなくなって、母親はパート掛け持ちと父親の介護、姉は専門学校辞めて風俗、自分は深夜バイトで家庭崩壊した。

生活保護受ければよかったのに、無知は罪だね。

108: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:45:51 ID:dI2
>>101
そこまでいって生保を受けなかったんですか。
でもご両親そろっていて、お姉さんもいたのなら、働けと言われた可能性もあります。
でもその場合、しっかりと仕事を探す支援はしてくれますし、場合によっては給付という形や貸し付けという形で当面のお金は降りたかもしれません。

本当に無知は罪だと、俺も思います。
でも本当に罪なのは、無知であることを知っていながら学ばせない環境と、それを食い物にする連中だと、今は思いますね。

97: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:35:45 ID:1TB
20超えたらそのうち選ばないといけなくなるで
うちもいい加減頭おかしい親だったから
応援してるわ

103: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:40:17 ID:dI2
>>97
それがストレスになってるのかもしれないですねw
でも、母親はなんやかんやあっても本当に大切なので。
お互いに依存せず、いい距離感で刺激しあって、生きていきたいですね。

99: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:36:36 ID:ppJ
ふむ面白かったよ

105: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:42:13 ID:dI2
>>99
ありがとうございました!

100: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:37:58 ID:KRW
生まれながらにハンデがある、なんて言い方すれば別の意味になっちゃうけど
同じだけの努力や時間を普通の家庭から費やしていたらそれは大きな存在になってたのかなと

いや普通の家庭だったら頑張るきっかけが無いか
出遅れた分は取り返せばいいんだから、恐ろしい存在には変わりないんだろうね

106: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:43:51 ID:dI2
>>100
正直、俺もかなり負けず嫌いなので、見下してきた子には思うところがないわけではないんですけど。
追い越してやろうって気持ちがないわけではないんですけど、最終的には対等になって、仲良くなりたいんだろうと思いますw
昔から、多分それだけで人と関わってきたんですね俺って。今なんか、はっと気づきましたww

102: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:39:24 ID:dI2
スレ立てして、したかったことは二つあって。
そもそもきっかけは成人式のお知らせが来たことなんですが。

まったく連絡を取っていなかった人から連絡が来て、中学時代のことを思い出して。
ああ、いろいろあったなあ、整理したいなあと思って書き込みました。

そして二つ目は、同じような状況の高校生や中学生ってたぶんたくさんいるんじゃないかなって思って。
まったく同じじゃなくても、部分部分でも似通っている悩みを抱えている人って多いかなって思いまして。
俺の場合は解決策の一つに過ぎないし、だいぶ力業だし、運も絡んでいるから絶対じゃないし、そもそも解決していないことも多いけど。
底辺の底辺からでもある程度、這い上がりたい気持ちがあれば助けてくれる人や機構ってあるんですよって伝えたい。

あと、自分のためにやる努力の楽しさを伝えたくて。
多分、同年代の自由な環境にいる人が楽しそうに見えてしまうのは、その人が自分のために努力していて、時間とお金をかけてもらえているからだと思うんですけど。
その時間と環境がない人は、どうしても自分への努力がし辛いです、そういう時代だと思います。

だから、今の努力は努力じゃないと肝に銘じてほしい。
自分のためにやっていて、やりがいがあって、未来を創るための建設が努力だと、わかってほしい。
誰になんて言われても、その人が自分にとって責任を取ってくれる人でない限り、従う必要はないと考えてほしいなと、そう伝えたかったです。

110: 名無しさん@おーぷん 2016/10/05(水)02:57:17 ID:dI2
後さらに自分のマイナスをさらけ出すとすれば

父親が昔、酔って車を運転して人を殺しています。
母親と結婚する前のことだというので、直接俺は関係ないし、被害にあわれた方の名前も知りません。

でも、俺がそんな人間の息子なのだと知った時の衝撃は大きかったです。
自分が人と肩を並べて生きていくために、どこまで頑張らなくてはならないのかわかりません。

そういう意味では、今の自分は正解例とは到底違う場所に来てしまったのかもしれません。
でも、全てを幼少から知っている人はいません。
大抵はあとから事実を知って、後悔する、人間はその繰り返しです。
でも、知ろうとしなければ物事を知る機会は永遠に訪れません。
だから、まず自分を取り巻く環境を「客観的」に知ってください。
どうしても主体的に見てしまいがちですが、社会は客観的なものです。
早いうちから自分を客観的に見つめることは、将来の後悔を減らす唯一の手段だと、どうか心にとどめておいてほしいです。

成人式にすら出られなくなった、恥ずかしい二十歳前のクソガキでした。
どうか、将来の自分は、どんな選択をしようと必ず後悔すると念頭に置いて、どちらの後悔ならまだ許せるか?を考えてみてください。

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